2018
03.12

石原元都知事が貢献?ラッピングカーの歴史

コラム

今ではさまざまな種類の車両に活用され、広告におけるなくてはならない手法のひとつとなったカーラッピング。しかし、世界や日本における普及までの道のりは遠いものでした。今回は、ラッピングカーの歴史について振り返ります。

石原元都知事が貢献?ラッピングカーの歴史

石原元都知事が貢献?ラッピングカーの歴史

1994年にカーラッピングが誕生

ラッピングカーの夜明け以前。例えばバスの車体を使った広告は、「外側板」に塗装を施す手法が多く用いられていました。そんな中、1994年になりカーラッピングが登場します。しかし、その当時はまだ価格がこなれておらず、コストが見合わずに普及までには至りませんでした。

技術の発展が普及を後押し

現在も「外側板」を用いた広告はバスの車体などでよく見られます。しかし、主流はカーラッピングに置き換わりました。その理由としては、以下の要素が考えられます。

素材の発展

もっとも画期的だったのは車両専用の再剥離フィルムの登場です。それまでの看板用フィルムには、そもそも“剥がせる”という概念自体がありません。むしろ、“剥がれない”ことにこそ価値があったのです。一方で、再剥離フィルムはその真逆を行くコンセプトを持つ製品です。自由度とメンテナンス性の高い、現代のフリートマーキングが実現できたのは、間違いなく再剥離フィルムのおかげと言えるでしょう。

その他にも、1998年に登場したエアフリー機能による施工スピード向上や、2011年頃から増えだしたカラーバリエーションも、カーラッピングの普及を後押ししました。

印刷技術の発展

印刷技術の向上もカーラッピングの普及を支えた要素のひとつです。まだまだ印刷の品質が高くなかった頃に登場したソルベントインク、UVインク、ラテックスインクにより、カーラッピングの勢いが加速します。品質向上はもちろん、コスト感や施工性の面でも従来の技術を追い越しました。

技術者の熟練

素材や印刷技術の発展と共に、カーラッピング施工者の技術力も高くなっていきます。業界全体のスキルが底上げされたことで、施工にかかるコストも低減されていきました。この頃に、現代のカーラッピング技術の礎が築かれたと言っても過言ではありません。

バスが口火を切った日本でのカーラッピング

日本におけるバスラッピング普及の功労者と言えば、石原慎太郎元都知事をおいて他にいないでしょう。2000年に行われた規制緩和では、バスや路面電車の広告面積が2.7平方メートルから30平方メートル(もしくは車体面積の3/10)にまで拡大されます。これを皮切りに、ラッピングバスの名称がメディア等を通じて広まりました。

その後、自由なデザインや施工性が高い評価を受け、従来になかったアイデアが生まれるようになります。そしてラッピングカーは、現代のメジャーな広告手法のひとつとして認知されるまでになりました。

まとめ

1998年に開催された長野オリンピックでは、公式スポンサーによるラッピングバスが多数走行していました。これをきっかけに、弊社では東京都交通局(都営バス)の赤字解消策としてラッピングバスを提案したという実績がございます。ラッピングカーの歴史と共に成長してきたYMG1は、これからも数多くのお客さまにご満足いただけるラッピング広告の制作・ご提案を続けてまいります。

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